山口の田舎で夫婦二人暮らし。
山口の風景やありふれた田舎の暮らしを紹介します。
6月。農村地帯は田植えのシーズン。
農家の嫁の私も、毎日、農作業に追われていました。
ダンナさんが、体調を悪くして以来、農業はやめ、農地を荒らさないように除草などの作業だけしています。
周りが忙しそうに田植え準備をしていれば、なんだか気持ちが落ち着かず、そわそわしていましたが、だんだんそんな6月に慣れてきて、休日はゆっくり過ごせるようになりました。
でも今は高齢化で農業をやめる人が年々増えて来て、農村の風景は急激に変わっています。
田舎の集落の組織
ダンナさんは代々続くこの家の長男。末っ子。
農家の後継者として、地元で生まれ育ち、63年間この地で生活しています。
私が嫁いできた38年前、長男としての使命感が強い人だなぁという印象を持ちました。
当時は、農家、長男、同居は結婚するときに避けたい最も重要なポイントでした。
私はそんなことはあんまり考えない方で、というか、農家を知らないし、新築の家だったし、何とかなるだろうくらいの甘い考えだったので、とんでもない所に来てしまったと気づいた時は後の祭り・・・
この地(農村)のしきたり、農家の生活習慣、義父母とのジェネレーションギャップなどなど、驚きと戸惑い。
溶け込むというか、馴染むのに10年くらいでしょうか。そのくらいかかったと思います。
そして、どこの田舎も似たようなものだと思いますが、集落には長老という存在がおられ・・・
決定権をにぎり、意見でもしようものなら、大声で怒鳴られ・・・
いつの時代のことかと思われますが、ここの集落もほんのこの前までそんな感じだったような。
私の父も男尊女卑の考えが強く、信じられないような頑固オヤジでしたが、時代は変わりましたね。
ここの集落は30軒あまり。
集落、いまは単位自治会っていうのかな?街中の方は、町内会っていうのでしょうか。
集落内で色々な役が回ってきます。推薦で選ばれる役や、家の順番で回る役。
子供会、体育委員、福祉委員、自治会長、宮総代、婦人部役員、世話人、班長などなど。
子どもは集落にはついにいなくなり、子供会は無くなりました。
体育委員は順番。地区の球技大会や、体育祭の手伝いや世話係。高齢者が多く、メンバー集めが大変で、棄権したり、隣の集落と合同でチームを組むようになりました。
自治会長は推薦。やりたくない人が多く決まらないので、最近は順番になりつつあります。
10軒くらいの班に分かれていて、3班の構成。
高齢の一人暮らしの方も多く、役を受けるのが難しいこともあったりで、思ったより早く役が回ってくる感じです。
うちのダンナさんは、今年は「世話人」(せわにん)の役です。これは家の順で、逃れられません。
仕事内容は、月2回の市報の配布、自治会費やお宮の祭典費等の集金、集落の会計、地区行事の準備、実施、お世話や取りまとめ、お知らせ事の回覧、緊急連絡の伝達等々。
世の中、コロナ禍で大変な時代ですが・・・
この「世話人」に関しては、去年から新型コロナ感染予防対策で、地域の行事がすべて中止となり、大変ラッキーな状況・・・
コロナ禍で世界中の人が生死にかかわるような大変な時に、ラッキーなんて、ヒンシュクを買うのでとても口には出せませんが。
「世話人」の一番面倒な仕事が、地区行事の準備、お世話や取りまとめ。
こんな行事をやって、いったい誰が喜ぶのっていうくらい昔ながらのしきたりの多さ。
実際、去年、沢山の行事が中止になって、実感したのは、やってもならなくても全く問題ないし、むしろ必要ないんじゃない?っていうこと。みんなで共感しました。
簡素化することで、楽になることってほんとに沢山あった!!
いっそ、この際、変な義務感は捨てて、考え直すことも大事だと思う今日この頃です。
でも、うちのダンナさんは、みんなで集まってワイワイ飲むのが大好きで、花見や球技大会(主に後の打ち上げに参加)が中止で寂しいようですが。
早くコロナが収束して、元の生活が戻りますように。
そして、無駄を見直し、新しい様式を取り入れた地域社会になりますように。
山口の風景 光市 伊藤博文公生誕地
6月7日、月曜。ダンナさんが年休の日で、周防大島まで一緒にドライブ。
特に目的はなく、気ままにのんびり出かけました。
周防大島方面に向かっていく途中、光市の山間の道路を走ると、伊藤公資料館の看板。
めったに通らないルートだし、一度も寄ったことが無い場所なので見学してみることに。
光市といえば、室積(むろづみ)や虹ケ浜(にじがはま)の海水浴場が人気スポット。
ここは山側。
駐車場に止め、車から降りるとありふれた田舎の風景。
いったいどこに資料館が・・・と見回すと、駐車場と反対側の斜め上方向、小高い所に、周りの景色とは若干浮いた感じの白い洋館の建物の一部が見える。
それっぽいので行ってみました。よく見たら、道路の脇にもしっかり看板が・・・
月曜なので、どうだろうと思っていたら、やっぱり休館日。でも敷地に入ることができました。
旧伊藤博文邸は伊藤公が自ら基本設計をしました。明治42年3月に着工されましたが、同年10月にハルビンで暗殺されたので、完成を見ることができませんでした。
伊藤公資料館
山口県光市束荷(旧熊毛郡束荷村)
ひかりしつかり
入り口の坂道を上がると、伊藤公旧宅の白い建物がいあります。その横に建つ資料館。
両方、美しいデザインの洋館。
生家
資料館の奥にあります。茅葺き屋根。もともとの場所に復元されています。開館日だと、たぶん戸が開けられていると思います。
その奥に、産湯の井戸があり、横には光市の名木と標された古いもみじの木もあります。
伊藤博文 初代内閣総理大臣
広くて、綺麗な庭に、銅像や、前安倍首相の書が彫られた碑などもあります。
懐かしい千円札。ダンナさんが顔を出していたので伊藤公に申し訳ありませんが、加工してます。
意外と詳しくは知らない山口県出身の偉人。今日は資料館には入れなかったけど、説明文が設置してあったので、ざっくりでも知ることができました。萩の伊藤公の足跡も訪ねてみたくなりました。
復元された生家や、当時のままの井戸や名木(もみじと柿の木)もあり、歴史を感じる場所です。
管理が行き届いていて、とても美しい場所でした。
もう少し上の方には公園も整備されているようです。
秋は紅葉も楽しめそうです。
もう一度ここへ来て、資料館の中や公園にも足を運んでみようと思います。
誰もいなかった静かな伊藤公資料館を後にして、次は柳井市に立ち寄り、それから大島に向かうことにしました。
次回は柳井市を紹介します。
読んでいただきありがとうございまいた。
ではまた。アイアイ
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